火葬場の起源!?歴史!?三昧場(さんまいば)について

こんにちは、火葬ディレクターです。

「三昧場という難しい言葉を耳にして、いったいどういう意味だろう?」と思っていたり、悩んでいたりしませんか?
でも本文を読めば、解決できるんです!

そこで今回は、三昧場についての解説を、この歴約10年の私がご紹介していきます。
これを知れば、あなたも火葬の歴史についてもっと詳しくなりますよ。

スポンサーリンク

三昧場の歴史について

近畿地方やその周辺では、「三昧場」という言葉は、一般的に墓地を指すものですが、火葬場を指すこともあります。また、両墓制においては、死体を埋葬する埋め墓を指します。三昧の名称の起源は詳しくはわかっていませんが、2つの説が有力です。

墓地に法華三昧堂を建立した

一つ目の説は、墓地に法華三昧堂を建立したことに由来するとされています。9世紀初めに最澄が比叡山に伝えた法華三昧は、『法華経』に基づいて天台宗の悟りを開くための止観業であり、無念無想になることを目指していました。また、日本では古代から『法華経』が荒魂や遊離魂を鎮め滅する滅罪の功徳(呪力)を持つ経典として説かれていました。平安時代中期以降、貴族たちの間で墓地に法華三昧堂を建立する風習が広まり、民間にも広がりました。その結果、墓地の堂舎が三昧堂と呼ばれ、埋葬地がサンマイと俗称されるようになったと考えられています。

念仏結社である廿五三味講

もう一つの説は、念仏結社である廿五三味講に関連しています。平安時代中期に慶滋保胤(寂心)や源信が創始したとされる廿五三味講は、臨終・葬送・死後供養に特化した念仏結社でした。墓地が三昧と称されたのは、文献上では、院政時代の『中右記』1120年(保安元)9月26日条に「今夕西御方御葬送也、日野南廿五三昧地為其所」と見られ、また『百練抄』1156年(保元元)7月14日条に「左大臣(藤原頼長)病庇薨、葬大和国般若野五三昧」と記されているのが早い例です。

要約すると、近畿地方やその周辺では、「三昧場」とは墓地や火葬場を意味し、その名前の起源には2つの説があります。一つは、墓地に法華三昧堂を建立したこたことに由来し、もう一つは念仏結社の廿五三味講に関連しています。どちらの説も、平安時代中期以降に貴族や民間で墓地に法華三昧堂を建立する風習が広まったことが関係しています。

スポンサーリンク

まとめ

これらの説から、三昧場という言葉が墓地や火葬場に使われるようになった背景には、仏教の教えや経典、そして結社の活動が深く関わっていたことがわかります。また、文献上での言及も、平安時代の『中右記』や『百練抄』に見られることから、この言葉の使用は古くからあることが伺えます。

三昧という言葉は、現在でも近畿地方やその周辺で使われており、日本の文化や歴史の中で重要な役割を果たしていると言えます。また、それぞれの地域で独自の墓地や火葬場の呼び名や風習があることが、日本の多様性や地域性を示しています。

今後も、三昧場という言葉は、墓地や火葬場に関する歴史や文化を伝える重要なキーワードとして、地域の人々に引き継がれていくでしょう。それぞれの地域で受け継がれる伝統や風習を大切にし、これからも日本の文化や歴史を理解し続けていくことが大切です。

コメント

タイトルとURLをコピーしました