衝撃の事実!「袈裟」はボロ布だった!?その壮絶な歴史と変貌の全貌

仏教における出家者の象徴とも言える装束「袈裟(けさ)」には、深い宗教的意味と長い歴史が込められています。現在では儀式用の美しい装飾として目にすることが多い袈裟ですが、本来の姿は実に質素で、出家者としての精神を体現するものでした。

この記事では、袈裟の語源や構造、使用目的、宗派ごとの違い、さらには現代における変化までを詳しく解説します。


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袈裟の語源と本来の意味

「袈裟」という言葉の語源は、サンスクリット語の「カシャーヤ(Kaṣāya)」です。この語は「くすんだ色」や「地味な色」を意味しており、仏教では赤・青・黄といった派手な色を避け、壊色(えじき)と呼ばれる地味な色の布が用いられました。

さらに、袈裟は新しい布ではなく、捨てられた古布やぼろ布を洗い、継ぎ合わせて作られるのが基本でした。これらの布は墓地や道端に落ちていたもの、死人を包んだ布、鼠にかじられた布などが推奨されており、こうした衣は「糞掃衣(ふんぞうえ)」とも呼ばれます。

袈裟は、物質的な価値を否定し、出家者の清貧と無執着を象徴する装束だったのです。


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三衣(さんえ):出家者の正装

仏教では、出家者が身にまとう基本の衣服として「三衣(さんえ)」が定められています。これは以下の三種類の衣から成ります。

  1. 中衣(ちゅうえ)/安陀会(あんだえ)
    • 日常の作業や就寝時に着る「普段着」。五枚の布を縫い合わせた五条袈裟が該当します。
    • 袈裟の中でももっとも簡素で、上半身は裸で着用するのが基本でした。
  2. 上衣(じょうえ)/鬱多羅僧(うったらそう)
    • 礼拝や教団内の集会、法話の聴講時などに着る儀式用の衣装。
    • 七枚の布からなるため、「七条衣(しちじょうえ)」とも呼ばれます。
  3. 大衣(だいえ)/僧伽梨(そうぎゃり)
    • 王宮に招かれた時や托鉢など、特別な場面で着用する「正装」。
    • 九枚から二十五枚の布を縫い合わせることから、「九条袈裟」とも呼ばれます。

このように、三衣は状況や目的に応じて使い分けられ、仏教の戒律の中でも重要な位置を占めています。


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寒冷地への伝来と袈裟の変化

袈裟の制度は、インドのような温暖な地域では理にかなったものでしたが、中国や日本のような寒冷地ではそのままでは対応できませんでした。

そのため、寒さをしのぐために袈裟の下に棍(こん)や着物などの衣類を重ね着するようになります。これにより、袈裟は実用的な衣としての役割を徐々に失い、「装飾」や「出家者の象徴」という側面が強くなっていきました。


日本における袈裟の色と素材の多様化

日本では、袈裟の下に着る衣の色は、通常は黒色が用いられます。しかし、法要や特別な儀式の際には、各宗派の規定や僧の階級に応じて紫・緋・青・黄・緑・白などの色衣が用いられます。

また、袈裟自体も「金欄(きんらん)」「綿綾(めんりょう)」といった豪華な布で仕立てられ、刺繍や紋様が施されるなど、華美なものへと変化していきました。

もともと質素な糞掃衣だった袈裟が、時代と共に数十万円、時には百万円を超えるような高価な装飾品になったのです。


宗派ごとの簡略化された袈裟

現代では、簡略化された袈裟が各宗派で用いられるようになっています。たとえば:

  • 輪袈裟(わげさ):もっとも簡略化された形式で、首にかけるタイプ。ほとんどの宗派で使用されます。
  • 種子袈裟(しゅじけさ):天台宗・真言宗・浄土真宗で使用。
  • 絡子(らくす):禅宗で使用される、肩からかける装束。
  • 威儀細(いぎぼそ):浄土宗で使われる帯状の袈裟。
  • 結袈裟(ゆいげさ):修験道や山伏で使用される形式。
  • 折五条(おりごじょう):畳んだ状態で使用される五条袈裟。多くの宗派で用いられています。

これらは儀式の形式や現代の生活スタイルに合わせて工夫されたものであり、袈裟の本来の意義を保ちながらも、利便性を高めたものといえるでしょう。


ことわざ「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」の真意

「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」という言葉は、ある人への憎しみが、その人に関係するものすべてに向けられることを意味します。袈裟自体には罪がないにもかかわらず、憎悪の対象になるという皮肉な表現です。

しかし、質素な壊色の布から始まった袈裟が、僧侶の世俗的な欲望とともにきらびやかに変質していった現実を見ると、単なる皮肉とは言い切れない現実が垣間見えるかもしれません。


おわりに

袈裟は、仏教の精神と出家者の信仰を象徴する神聖な装束です。その意味や形は、時代や地域、宗派によって大きく変わってきました。

本来の「質素・清貧・無執着」の精神を見直し、現代においてもその精神を尊重していくことが、仏教の本質を伝える一歩となるのではないでしょうか。

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